考え方は人それぞれって話

六年間、惰性で野球を続けた。

小学四年生のとき、友達が皆野球をしていたからという、あまりにも日本人らしい理由で、地元の少年野球チームに入団した。しかしまあ、何一つ自分で練習する気にはなれず、始めて半年たつ頃には、既に辞めたいとまで思っていた。

小学五年生になる頃には2番セカンドに転向していた。理由は単純で疲れないから。試合中も、時計の分針が変わった瞬間から60秒数えて、ちょうど分針が動いたら喜んだり、グラウンドに好きな女の子の名前を書いてすぐ消したりなどしていた。

中学一年生になっても、他にすることがないという理由で野球部に入部した。当時の自分の得意技は、味方のサインを無視してチームの輪を破壊する失点だ。控えめに言って最悪な弱点だったが、特に改善する気すらも起きなかった。

何故そんなに冷めていたのか?

書道を始めたとき、初めてその理由に気が付いた。そう、自分は野球もとい団体競技に向いていなかったのだ。悲しいことに、共に何かを成し遂げる達成感だとか、仲間と喜びを分かち合うだとか、そういうものに価値を置けない人間だったのだ。

我ながら、なんて独善的なんだろうと思う。両親もそんな風に育てたつもりはなかっただろうに。

そして今、これから仲間と共に何かを成し遂げる選考にびくびくしながら時間を潰している。