自分は、力に絶対の信頼を置いている。

自分について、実家には弟の集めたAKIRAジョジョが全巻あり、母はメンヘラビッチ、新しいパパはいいパパだ。中学時代から幸福実現党の街頭演説を横目に思考に意味深な間を置いてしまうような、どことなく人生を達観しているが不思議とそれが周囲の鼻につくこともない、どこか儚げな理想的なアーティスティック・インテリ男子を想像していた方がいたら申し訳ない。

実は自分は、実家にはメンヘラ母が集めたバキとはじめの一歩全巻があり、祖父は78歳の時に頸椎を骨折するまで余裕で懸垂ができ、前の親父は大学中退元ヤンキーという経歴を持つ脳筋船乗りで、中学時代から授業中にまで握力を鍛え、休憩時間に暴力友達とジェット・リーvsジャッキー・チェンを再現し、高校時代には入学と同時に始めたバドミントンで女子バドミントン部にいいところをみせたいというかわいい思考で関東大会まで駒を進め、大学では飲みサーに入り新歓係を務め積極的に可愛い子を勧誘することに専念するような男だ。

そんな自分は、例えば自分よりも英語が出来る日本人を見るたびに「呼吸器に俺の前蹴りを入れれればʕ(有声咽頭摩擦音)しか発生出来なくなるがな」と思い、将棋の某若手プロがニュースになるたび「俺の初手5-5前蹴りで泣きながら投了させられるがな」と思うような人間だ。

とは言え、自分は気は優しくて力持ちの金太郎だ。もちろん、今まで日常生活で前蹴りなど用いたことはない。しかしやはり、「いざというときにはそれで対処できる」というツールが備わっているのは、精神的な支えになるのである。核兵器禁止条例に国連加盟国の約3分の2にあたる国や地域が賛成してるなか、未だに多くの核保有先進国が署名せずにいるのも、そういうことしかし、九月某日、自分は気付いてしまった。かつて自他共に認めるアスリートだった自分の体型が、Beatsのヘッドフォンを首にかけた、もぎれとれてしまいそうな細い首を振りながらキーボードを弾く渋谷区のヒョロガリになっていることに。

動悸が激しくなった。こんな身体では、プロレス通の素人巨漢を相手にしたとき、自慢の前蹴りはいとも容易くキャッチされ、ドラゴン・スクリューを極められてしまうだろう。前蹴り並みに自信のある高速左刻み突きだって、被弾覚悟でホールドされてしまったらダブルアーム・スープレックスでひとたまりもないだろう。

今まで自分を支えてきた根拠の無い自信が、ジトジトと足元に溶け出していくのを感じた。そう、内定を捨てたのも就竜する根拠の無い自信は、暴力という後ろ盾があってのものだったのだ。

なんとしても筋力を、そして力を取り戻さなければならない。そう思い至ってからプロテインの蓋を開けるのに、そう時間はかからなかった。

いつぶりだろうか、気を失うまで走り込んだのは。いつぶりだろうか、筋肉がプチプチと音を立てるなか喘ぎながら懸垂をしたのは。いつぶりだろうか、夜中にタンパク質が身体を巡る音がうるさくて目が覚めたのは。

そこから簡易なトレーニングを始め、そしてそれから、アルギニン&クレアチンの摂取、そして公園限界トレーニングを始めた

最近は、毎日がエブリデイである。食事と睡眠が改善されたからか、やたらと身体と精神の調子が良い。さらに、『肩』が鍛えられたからか、何故かポーカーも過去最高に調子が良い。ついでに、ランニング&筋トレ中はおじゃ魔カーニバルを聴き知見を広げているため、全くもって隙がない生活と言えよう。ちなみに、この記事も酒を飲みながら書いている。

筋トレとは、自分自身を破壊し再生する行為だ。言い換えれば、新しい自分に遭遇し続けられる行為なのである。既にそこそこの暴力と自信を取り戻したというのに、過去の自分をも超える数値を叩き出したときには、一体どんな世界が見えるのだろうか。そんな期待で胸をパンプさせつつ、自分は今日もまた、夜な夜な公園で喘ぎながら限界の限界まで自分を追いつめる。

なにこの記事?